アドラー心理学 勇気づけカウンセラーの大西勝士と申します。
私は極度のあがり症で10年以上悩んでいました。人前でまともに話すことができず、そんな自分が情けなくて、自分を責め続けていました。
そんな私があがり症を克服し、今では自分を大切にしたいと思えるようになりました。
あがり症だった私がなぜ人前で話せるようになったのか。今回はその理由をお伝えします。
かつての私のように、あがり症に悩む人の力になれたらうれしいです。
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私があがり症を自覚したきっかけ
まず、私があがり症を自覚したきっかけをお伝えします。
小さい頃からあがり症だったわけではなく、大学4年生のときに異変に気づき、悩むようになりました。
学生時代は人前で話すことが多かった
学生時代は人前で話す機会が多くありました。高校時代は級長を務め、クラス会では司会をしました。また、大学で所属していた部活では運営責任者として、OBが100人程度が集まるイベントでいつも司会をしていました。
当時は人前で話すことに抵抗はありませんでしたね。むしろ、自分は人前で話すのが得意だと思っていたほどです。
緊張はするものの、人前で話すことに楽しさを感じていました。
この時は、まさか自分があがり症になるとは夢にも思っていませんでした。
就職活動の面接でうまく話せない
あがり症を自覚し始めたきっかけは就職活動です。
大学3年生の終わりから就職を意識し始め、企業説明会に参加したり、就職面接を受けるようになりました。「自分は部活で責任者を務めたし、人前で話すのは得意だから大丈夫」だと思っていました。
ところが、面接ではなぜかガチガチに緊張してしまって、自分の思いをうまく伝えることができません。頭が真っ白になって、冷や汗がダラダラ。面接官に質問されても、しどろもどろになってしまう。
こんな感覚は初めてのことで、かなり動揺しました。
「今回はたまたまうまくいかなかっただけだ。次は大丈夫!」と自分に言い聞かせますが、面接を受ければ受けるほど症状は悪化していきます。
奇跡的に内定はもらえたものの、周りからどう見られているかを異常に気にするようになりました。「人前で話すのは得意」という自信はすっかりなくなっていました。
自分があがり症で悩んでいることを、誰かに相談できていたらよかったのかもしれません。しかし、私にはできませんでした。
そして、あがり症であることを知られてはいけないと思えば思うほど、ますます症状は悪化していきました。
社会人になってあがり症が悪化
社会人になって、あがり症はますます悪化していきました。会社に勤めていれば、人前で話すことは避けられません。
新入社員として営業所に配属されたとき、最初のあいさつで震えが止まらなかったことを今でも覚えています。特につらかったのが、定期的に回ってくる朝礼当番と会社の飲み会でした。
朝礼当番といっても、別に難しいことをするわけではありません。社員20人ぐらいの前でちょっとした冊子を読み、その感想を話すだけです。
しかし、私には怖くて仕方ありませんでした。1週間前から憂鬱で、前日は心配で何度も目が覚めてしまうほどでした。
朝礼当番のほかに、会社の飲み会も苦手でした。勤務先が営業所で体育会っぽいノリがあったこともあり、上司から突然みんなの前で何か話すように振られることがあったからです。
「振られたらどうしよう…」と常にビクビクしていたので、飲み会を楽しむ余裕はありませんでした。
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私が苦しんだあがり症の症状
次に、私が苦しんだあがり症の症状をお伝えします。あがり症は身体的な症状はもちろんですが、それ以上に精神的な苦しみが強かったです。
声が震えて、頭が真っ白になる
人前で話さなければならない場面になると、心臓が急にバクバクし始めます。ちょっとドキドキするというレベルではなく、激しい運動をした後のような状態です。
話す前からそんな状態なので息が上がってしまい、まともに話すことができません。
声は震え、頭は真っ白になり、何を話しているのか自分でもわからなくなってしまう。話し終わるといつも汗びっしょりで、すぐにトイレに行っていました。
その日の仕事が終わったような気持ちで、どっと疲れが襲ってくるという感じでした。
その場の雰囲気や人数、どの程度準備しているかによって程度は違いますが、目上の人(役員、上司など)がいればいるほど、失敗は許されないという思いが強くなり、症状がひどかったように思います。
周りの反応が気になって仕方がない
自分があがり症だと自覚するようになってからは、周りの反応が気になって仕方ありませんでした。こんなに人前で話をするのが苦しい自分は、周りにはどう見えているんだろうと思うようになりましたね。
最初は、人前で話した後に「緊張しているのがバレていないかな…」と思う程度でした。
しかし、症状が悪化するにつれて、常に周りの反応を気にするようになっていきました。そして、ますますあがり症が悪化する悪循環…。
「自分はあがり症で、人前で話すのが苦手なんです。」と言えたら、どんなに楽だっただろうと今は思います。
しかし、当時は絶対に言えなかった。そんなことがバレたら終わりだと思い込んでいましたから。
本来、人前で話すのは、聞き手に何かを伝えることが目的です。それなのに、いつの間にか、緊張していると思われないようにすることが目的になっていました。人のことを気にする余裕はありませんでした。
自分を責めてしまう
一番つらかったのが、そんな自分を責めてしまうことでした。「社会人のくせに、人前でまともに話もできない自分はダメだ。本当に情けない。」と、いつも自分を責めていましたね。
自分を責めてしまうことでますます自信をなくし、やりたいと思ったことに挑戦する意欲をなくしていきました。人付き合いにも消極的になり、特に大勢の人が集まるようなところには、ほとんど行かなくなりました。
仕事でも目立ちたくないので、積極的に何かに取り組むようなこともありませんでしたね。
活躍している同僚たちを見て、うらやましいとは思いながらも、自分には無理だと言い聞かせる毎日。仕事にやりがいを感じられず、「何のために生きてるんだろう…」とまで思いつめるようになっていました。
当時は、自分を責めているという感覚はありませんでした。
しかし、今振り返ると、自分で自分のことを苦しめていたのがよくわかります。
落ち込むのは仕方ないとして、自分を責めなければ、ここまで症状が悪化することはなかったのかもしれません。
あがり症だった私が人前で話せるようになった理由
それでは、極度のあがり症だった私がなぜ人前で話せるようになったのか、その理由をお伝えします。ある本との出会いが、あがり症を脱するきっかけを与えてくれました。
話し方教室に通った
あがり症をなんとかしたいと思い、書店や図書館であがり症の本を探すようになりました。
しかし、ほとんどの本には「あがり症をなおすには場数が必要」書かれており、その言葉を目にするたびに「それでなおるなら苦労しないよ…」と思っていました。
そんなときに図書館で見つけたのが「練習15分 あがらない話し方教室(著:新田祥子)」でした。
「あがりは場数ではなおせない」と書かれていたのがとても印象的で、著者の新田祥子先生の話し方教室に通うことを決めました。
この決断が、私の人生を大きく変えることになります。
教室では、口の動かし方や発声のやり方、話すときに意識することなどを学びました。びっくりしたのが、2日目にして、あがらないで話す状態を体験できたことです。
そんなに長い時間ではありませんでしたが、「これならあがり症がなおるかもしれない」とワクワクしたのを覚えています。
教室には3ヶ月通い、卒業する頃にはかなり改善されていました。人前で話すことがあっても、ただ緊張する程度で済むようになりましたね。私が通ったのは約5年前ですが、新田先生には今でも感謝しています。
自己肯定感という言葉を知る
話し方教室ではテクニックだけでなく、感情のコントロールについても学びました。
その中でも特に大きかったのが「自己肯定感」という言葉を知ったことでした。恥ずかしながら、それまで「自己肯定感」という言葉を知らなかったのです。
私はずっと運動部だったので「自分に厳しくしなければいけない」と思い込んでいました。
「あがり症なのは努力が足りないから」ぐらいに思っていたので、自分を認める、自分を大切にするという考えに衝撃を受けました。
教室で「毎日寝る前に、その日よかったことを3つ考えながら寝る」という宿題が出たのですが、続けるほどに気持ちが前向きになっていくのが実感できました。
自分を責める気持ちが減って、心が楽になっていくのがよくわかりましたね。
自分を大切にしてもいいと知って、本当に驚きました。「自己肯定感」という言葉を知ったのは、私にとって人生最大の転機だと思っています。
心理学を学んで考え方が変わった
話し方教室に通い、自分を大切にしてもいいと知った私は、心に興味を持つようになり、心理学の本をよく読むようになりました。
それまで読書は小説ぐらいだったのが、心理学を中心に、自己啓発書、ビジネス書を含めて年100冊超のペースで読み漁りました。
多くの本には「自分を受け入れること」「自分を大切にすること」が書かれており、読めば読むほど、考え方が変わっていくのが実感できました。特に大きかったのが、アドラー心理学との出会いです。
アドラー心理学を学んで、うまくいかない原因ばかりに注目するのではなく「自分はどうしたいのか」「そのために今できることは何か」と、未来に目を向けられるようになりました。
また、自分の人生は自分で決められると思えるようになったこともよかったです。
あがり症を理由にやりたいことから逃げていた私が、今ではカウンセラーとしてアドラー心理学講座や個別セッションを行っていることに、自分でもびっくりしています。
未来は自分の手で変えることができるんです。
あがり症の人が目指すべき状態
最後に、あがり症の人が目指すべき状態についてお伝えします。まったくドキドキしないで、流暢に話す状態を目指すのは現実的ではありません。目指すべき状態がイメージできると、気持ちが楽になるかもしれません。
うまく話せなくてもいい
あがり症に悩んでいたとき、私がイメージする「うまく話せる状態」は、たとえ大勢の前であってもドキドキせず、流暢に話せることでした。
実際、そうやって話している(ように見える)人が周囲にいたので、うらやましいと思っていました。
しかし、そのイメージがそもそも間違いでした。うまく話せなくても、まったく問題ありません。うまく話せていたかどうかを決めるのは、自分ではなくて聞き手です。
自分がドキドキしようが、震えていようが、聞き手にはどうでもいいこと。聞いているほうは話し手ほど気にしていません。
それに、流暢に話されると、実は話の内容が頭に残りにくいのです。話しながら詰まったり、たどたどしい話し方のほうが、適度な間が生まれ、聞き手に安心感や考える時間を与えます。
流暢な話し方は、話し手は気持ちがいいかもしれませんが、聞き手には苦痛に感じることも多いものです。
うまく話そうとしなくていい、ちょっと言い間違えるぐらいが聞き手には心地よいことを、ぜひ覚えておいてください。
目指すべきは「自分を責めない」状態
あがり症を克服した状態とは、「自分を責めない」状態だと私は考えています。うまく話せるようになるよりも、うまく話せない自分を受け入れ、自分を責めない状態を目指しましょう。
ドキドキして話せないことはもちろん苦しいのですが、それ以上に苦しいのは、そんな自分が情けない、そんな自分は価値がないと考えてしまうことです。
逆に言えば、ドキドキしてうまく話せなくても、「緊張したなあ…」だけで済んでいるなら、別に気にする必要はありません。
私はあがり症を克服できたと思っていますが、今でも人前で話すときはドキドキしますし、息苦しさや震えを感じることもあります。しかし、話し終わった後で情けない気持ちになることや、そんな自分を責めることはもうありません。
あがり症に苦しむ人が目指すべきは、一字一句間違えないで話すことでも、まったくドキドキせずに話すことでもありません。
前述したように、ちょっとたどたどしいぐらいのほうが聞き手には心地よいのです。自分を責めない状態を目指しましょう。
あがり症の自分を勇気づけよう
アドラー心理学には「勇気づけ」という言葉があり、困難を克服する活力を与えることをいいます。あがり症を克服するためには、自分を勇気づける習慣を身につけることが大切です。
人が心の中で自分に向けて発する言葉をセルフトークといいます。
セルフトークにはプラスの言葉とマイナスの言葉があり、自分はダメだと自分を責める言葉はマイナスのセルフトークです。
自分を勇気づけるには、意識してプラスのセルフトークを使うことです。
人前でうまく話せず、自分を責めたくなっても、「自分なりにベストを尽くした」「逃げずに役割を全うした」など、よいところに注目して、プラスのセルフトークに変えていきましょう。
言葉の持つ力は強力です。
私がよいところを3つ考えながら寝ることを習慣にしたら前向きになれたように、プラスのセルフトークを意識して使うことで、少しずつ考え方が変わってきます。
自分を勇気づける習慣を身につけていきましょう。
まとめ
極度のあがり症だった私が人前で話せるようになった理由をお伝えしました。苦しんでいたときのことを思うと、今の状態は奇跡だと感じるぐらい、気持ちが楽になりました。
あがり症を克服するには、私が話し方教室に通ったようにテクニックを学ぶことも大切です。
しかし、それ以上に心にあり方を見直すことが大切です。
あがり症に苦しむ今の自分を責めるのではなく、そんな自分を受け入れ、勇気づける。まずはここから始めてみてください。
私の体験談が、あがり症に苦しむ人の参考になればうれしいです。
※ブログで思いを発信しています。ぜひご覧ください。
かつにっき|アドラー心理学 勇気づけカウンセラー 大西勝士のブログ
かっちゃん、わたしもあがり症で、どうしたものか?と悩んでる時に、ふと見つけて読ませてもらいました(o^^o)気持ちが楽になったよー。ありがとう(o^^o)